寄稿: 成 井 実
梅雨まっただ中、予報も「雨」とあって出足が心配でしたが、57名が参加していつも通りの盛況。JR京浜東北線東神奈川駅からお隣の横浜駅まで、わずか一駅の間に、まるで密集といってもよいほど甍を競う寺々を中心に「神奈川宿」の歴史と伝説を尋ね歩きました。今回は狭い範囲を縫って歩くようなコースなので、順をたどらずにいくつかのエピソードで報告をまとめたいと思います。
● 苦難を乗り越えた狛犬…平安末期からの名刹「金蔵院」が熊野から勧請し、今も隣接地に鎮座する「熊野神社」の一対の狛犬は、お社の大きさとは釣り合わぬほどの巨大さ。安政の大地震、関東大震災、横浜大空襲で傷つき、はては進駐軍のブルドーザーに押しやられてもなお復活した強運の持ち主。江戸の名工「飯嶋吉六」作とあるが、地元衆の信仰の根強さを伝える象徴的存在。
● 白ペンキを塗られた「本覚寺」山門…安政元年の日米和親条約締結の舞台となり、このあたりの寺々に欧米列強が次々に領事館を開いたため、ここ神奈川宿は近代都市横浜の母体となった。
中でもアメリカの領事館となった「本覚寺」では、松の木の枝を払って星条旗が掲げられ,本尊は板囲いで覆われ、山門にはホワイトハウスを気取ってか白ペンキが塗られた。今もわずかにその痕跡が残っている。
いかにもアメリカらしい文化破壊を逆手に取って,横浜を「日本のペンキ塗装発祥の地」とし、本覚寺に全国塗装業者の合同慰霊碑を建てた塗装業組合の皆さんの度胸とセンスには全く恐れ入る。
● ここにもあった「浦島太郎伝説」…桃太郎と並んで全国のあちこちに伝説を残す浦島太郎。彼が龍宮城から玉手箱とともに持ち帰ったといわれる観音像が「慶運寺」にまつられ、子(ね)の年ごとに開帳される。また、帰郷後に父母の死を知って流した涙で凹凸ができたという「涙石」が、すぐ近くの「成仏寺」の庭で見られる。満潮時には湿るというが今日は雨、晴れの日に確かめてみるとしよう。
● ヘボン博士の足跡…ヘボン式ローマ字で知られる「ヘボン博士」が「成仏寺」を宿舎としてプロテスタントの宣教師として活動、和英辞典の編纂、聖書の和訳さらには「宗興寺」に無料の施療所を開いた。のちに関内に診療所を作って本格的な診療活動を行い、虫下しの「シモンズ博士」とともに日本の医療分野発展に大きく貢献した。
● お龍さんの働いていた「田中家」…
広重が旧東海道「台の坂」の絶景を描いた中にも見られる料亭「さくらや=田中家」には、坂本龍馬夫人の「お龍さん」が、龍馬亡き後の明治7年、勝海舟の紹介で働いていた。英語ができ、月琴が弾ける彼女のもてなしは外人客にも喜ばれたようだ。当家は老舗らしいたたずまいを残しながら、今も高級料亭として商いを続けている。
歩こう会としては珍しく、後半は傘を広げてのウォーキングでしたが、たくさんのお寺や神社を巡り歩き、神奈川担当の有田幹事さんから、それぞれの由来やエピソードをたっぷり聞かせていただいて、まったく疲れを感じない一日でした。