第135回 健康歩こう会(平成23年8月20日)

「取手宿」から「ビール工場」へ

寄稿: 柿 本 政 昭

記録的な猛暑が続き、猛暑・酷暑の言葉を毎日聞いていた今年の夏ですが、例会前日の雨から天候が下り坂となり例会当日は9月半ばの気温にまで下がりました。暑さはともかく、前日の雨が当日まで継続しないかとの心配をする天候でしたが、幸いにも曇りながら雨も降らないウォーキング日和となったこの日は、例年と同様、コースの最後はビール工場の見学です。取手駅前

JR常磐線「取手駅」には46名のメンバーが元気に揃いました。

まずは、地元在住のメンバー 田沼 豊 さんから歓迎のご挨拶と共に取手市に関しての説明がありました。

取手市は千葉県から茨城県に入って最初の街です。上野から常磐線の快速で約40分、約40Kmという場所に位置しています。最近はベッドタウンとして発展してきましたが、旧石器時代の遺跡や貝塚が発掘されるなど歴史的にも古くから生活の場でした。江戸時代には「取手宿」として水戸街道の19箇所の宿場町のひとつとして、また利根川を利用した水運の拠点としても栄えてきました。

Tyouzenjiまず、一行が向かったのは取手駅からすぐのところにある「長禅寺」です。臨済宗妙心寺派に属し、平将門が勅願所として省平元年(931年)に建立された古刹です。
長禅寺は旧大鹿村にありましたが水戸街道が開かれたのに伴い現在地に移され慶安2年(1649)には三代将軍徳川家光より社領五石三斗の朱印状を賜って以来、代々の徳川将軍から朱印地を賜っています。文化年間(1804~18)には小林一茶も長禅寺に訪れていて"下総の 四国廻や 閑古鳥"の句を残しています。長禅寺三世堂また、山門の正面にある三世堂は宝暦13年(1763)に建てられたもので、外観は2層、内部が3階、101体の観音像を参拝しながら上層階へ昇り、交差しないで下層階へ降りる事が出来る“さざえ堂”形式です。三世堂はさざえ堂建築としては日本最古とされ昭和56年に茨城県指定重要文化財に指定されていますが残念ながら内部公開は毎年4月18日に決まっていますので今日は内部を参拝することはできません。

長禅寺で、うるさいくらいのセミの声を聞きながら、また蚊に刺されながらコースリーダーの田口会長の説明に聞き入っていましたが、次の目的地は「旧・取手宿本陣」です。水戸街道は江戸御三家の一つである水戸徳川家と江戸を繋ぐ街道ですが、旧・取手宿本陣水戸城下以北の岩城街道は奥州街道の岩沼宿(宮城県岩沼市)へ続いていた為、奥州街道の脇街道として五街道に準ずる格式を有していました。徳川家光によって各地の大名に参勤交代を義務付けされたことに伴い、水戸藩はこの地の名主であった染野家に取手本陣の着工を命じました。何度も宿場は火災に見舞われ、現在の本陣は寛政6年(1794年)に再建されたものですが、現在水戸街道に残る本陣建築では最古で最大の建物です。水戸藩は定府大名であったので正式な参勤交代なく藩主在任中に一度は就藩(水戸へ出向)するよう義務付けられていましたそうで、あまり往復はなかったようですが、水戸街道を往復する多くの大名や高位の武士がこの本陣を利用したとのことです。

取手宿本陣の近くに「八坂神社」があります。この神社の例大際は毎年8月1日から3日に行われ3日の夜が最も賑やかだそうです。関東三大神輿の一つと言われる勇壮な大神輿の渡御や底抜け山車、神楽など伝統的な例大祭が行われます。現在の本殿(取手市指定有形文化財)は明治36年に再建されたもので一間社流造、建物全体に精巧な彫刻が施され、名工後藤縫殿之助、保之助親子が手掛けています。しかし、この日は網が掛けられており本殿の彫刻を見ることはできませんでした。

八坂神社のすぐ裏は利根川が流れています。利根川この川は何度も氾濫を起こし明治末期から大正初めにかけて蛇行していました。大正9年に氾濫防止を目的として蛇行していた流れを直線的に改修しました。このとき、従来は陸続きであった「小堀地区」が取手町(当時)の離れ島となってしまったので渡し船による往来が始まりました。これが小堀の渡しですが、現在も運行されています。

小堀の渡しの必要性を堤防から眺めて次に向かったのは「念仏院」です。浄土宗のお寺で寛永4年(1627年)に創建されました。急な階段を登りますと、正面に本堂があり、その横に取手七福神の一つに数えられます寿老人(長寿安泰の守護神)があります、幕末の国学者「沢近嶺」の歌碑などもあります。

ここまで、いくつものポイントを見学してきましたが、今日の行程の1/4程しか歩いていません。これからがわが健康歩こう会のウォークが始まります。

本願寺15分ほど歩いて「本願寺」に到着しました。このお寺は京都知恩院の直末寺で浄土宗のお寺です。取手ゆかりの本多作左衛門重次の菩提寺で、重次の甲冑、金扇、旗指物などが寺宝として保存されているそうです。境内には、日本一短い手紙として有名な「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」の石碑があります。重次は、三河三奉行の一人として徳川家康の重臣として仕えていたが、豊臣秀吉の勘気に触れ、上総国古井戸(現在の千葉県君津市)三千石にて蟄居させられたが、その後この地に変更され68歳で死去している。次の訪問地はこの重次の墓です。本願寺から10分ほど歩いた小高い山の上にありますが、現在は住宅に囲まれ、また柵に囲まれているので近くまで行くことはできません。

さて、このあとは、キリンビールの工場見学です。キリンビール重次のお墓から約20分歩いて到着です。「キリンビール取手工場」は1970年に創業開始して以来、首都圏の近くに立地することから同社の工場の中でも大きな工場のひとつとして稼働しています。案内の女性の説明を聴きながら工場をバスで案内してもらったあとは、待っていた試飲です。出来立ての美味しいビールで喉を潤しました。

その後は、スタート地点の取手駅まで歩いて戻ります。路線バスで帰った人もおり、流れ解散となりましたが帰りの電車ではビールの美味しい味を思い出しながらの人も多かったことと思います。