寄稿: 柿 本 政 昭
いよいよ師走に入り、何かと気ぜわしくなりつつある例会当日ですが、久々の好天に恵まれ、ウォーキング日和となりました。
平成23年最後のウォーキングは東京都内の中央区を中心としたコースです。
集合場所の八丁堀「桜川公園」には70名のメンバーが集まりました。
今日はウォーキングの終了後忘年会があること、場所が都内の集まりやすいところであることなどが
多くのメンバーに参加してもらえる理由ではないかと思いつつスタート時間まで参加者同士歓談をしています。
まずは田口会長のご挨拶に続いてストレッチ体操を有田幹事の指導で実施し、本日のコース概要や中央区に関してなどを本日のコースリーダーの柿本幹事から説明がありました。 面積は台東区についで2番目に小さい。また人口は千代田区についで少ないという中央区ですが、銀座や日本橋といった商業・オフィス地区を含んでいるので昼間人口は夜間人口の数倍にもなるとのことです。 また、中央区のほとんどの地域は江戸時代以前から徐々に埋め立てが進んだ場所であり、本日のコースはその昔、海の上だった場所です。
さて、スタートしてすぐに第一のポイントである「鉄砲州稲荷神社」に到着です。江戸湊の入り口に鎮座されている神様です。周りを見ても海は直接見えない場所ですが、埋め立てが進むに従い、室町時代には今の京橋辺りにご遷座になり、八丁堀を経て明治元年に現在の場所に移転されたとのことです。
次に一行が向かったのが「中央大橋」です。
平成5年8月に完成した新しい橋です。隅田川は平成元年からフランスのセーヌ川と友好河川の提携をしている関係でこの橋のデザインはフランス人によるものであり、また中央の橋脚には「メッセンジャー」とよばれる像が設置されています。この像はパリ万国博覧会に展示されたこともある像ですという説明を聞きながら次は石川島地区です。地名として石川島は残っていませんが。鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵が幕府の許可を得て設置した「石川島人足寄場」が設置されたり、後の「石川島播磨重工(IHI)」となる「石川島造船所」が設置された場所です。
大阪摂津の国佃島の住民が徳川家康と深いかかわりがあり、家康が幕府を江戸に開いたときに江戸に下った漁師たちに家康から賜った場所が佃島です。佃島にある住吉神社も摂津の国の住吉神社から分神霊を奉戴しています。
月島といえばもんじゃ焼きですが、今日のコースはもんじゃストリートを素通りです。寺子屋で文字を教えるのに鉄板の上に文字の形で作ったものが「文字焼き」 → 「もんじ焼き」 → 「もんじゃ焼き」となったそうです。
「勝鬨橋」は日露戦争の際の旅順陥落を記念してこの場所にかちどきの渡しを設置したのが「勝どき」の名前の起こりです。(明治38年)その後、月島地区で日本万国博覧会を開く計画があり、勝鬨橋は外国の手助けをもらわず、日本人の手で設計から施工まで行われました。万国博覧会は戦争の影響もあり実施されることはありませんでしたが昭和15年に完成しました。完成当時は「東洋一の可動橋」と呼ばれていましたが物流の形態が変化してきたこともあり昭和45年を最後に開くことはなくなりました。
月島から勝鬨橋を渡るとそこは「築地」です。ここは「築地市場」と「築地本願寺」で有名な場所です。築地市場は東京都にある卸売市場の中で最大の規模を誇る市場ですが、老朽化と手狭になっていることなどから移転問題がニュースになっています。築地本願寺にお参りした後一向は「浜離宮恩賜庭園」に向かいます。ここは徳川家の大名庭園だった場所ですが、海水を池に引き入れ、干満による水位の高さの違いを楽しんだ仕掛けがあります。明治になってからは宮内庁の管理と成り、迎賓館を設置しましたが地震により被害を受け、現在は取り壊されています。
大名庭園で楽しんだ一行は最後のポイントの「新橋停車場跡」に向かいます。
「汽笛一声新橋を・・・」と歌われたように日本で最初の鉄道が運行された新橋駅の跡です。旅客駅は現在の東京駅に移転しましたので新橋駅は貨物駅となりました。現在の新橋駅は最初は「烏森駅」と呼ばれたそうですが、新橋駅に改められると同時にこちらの貨物駅は「汐留駅」となりました。建設当時の設計図が残っていたそうで、現在の駅舎は忠実に再現された二代目の建物です。 これで本日のコースは終了です。新橋停車場跡の建物内にあるお店で忘年会を実施しました。例年通り田口会長から1年を振り返ってのご挨拶と報告、皆勤賞・精勤賞の表彰、来年の計画が発表されました。今年の無事に感謝し、いつまでも元気であることを願って乾杯です。宴の高まりとともに我が健康歩こう会が来年も楽しい会になることが実感されたことは言うまでもありません。 以上