● 20周年記念投稿「私と同好会」
私と写そう会
村上勝巳
退職後は時間的余裕が出来た事もあり、国内外の世界遺産めぐりを楽しんでいます。
元々、旅好きで暇ができると地図とカメラを携え、各地を飛び回っていました。中でも、古都の奈良や京都の町を散策し、魅力ある建物や庭園を鑑賞するのが好きで何度も足を運んだ。76坪の庭一面の白砂に、大小15の石を配した龍安寺の石庭。何かを感じとろうと座り込むも、わかったようで、わからんのが実態。あまりにもシンプルさ故に奥が深すぎる。

《早朝のアブ・シンベル神殿》こうした古都の魅力も、中国をはじめとした諸外国の影響が大きいだろうと、そのルーツを探りに、退職後まずエジプト・トルコ・インド・中国の古代文明の遺跡めぐりに出かけています。
エジプトでは、豊かな自然を育みながら数千年の時を越えて、砂漠地帯を南北に流れる大河ナイル。
アブ・シンベルから地中海にたどりつくまで、その流域にやどるエドフのホルス神殿・ルクソールのカルナック大神殿や王家の谷・ギザのピラミッドなど、かっての栄華を物語る古代遺跡に感動。

《イスタンブールのアヤソフィア》トルコは、アジアとヨーロッパに跨がり、歴史も人も風俗も、東と西が混じりあう国。
2000年に近い歳月にわたって、ローマ・ビザンチン・オスマンという大帝国の中心だったイスタンブール。その魅惑の町をぶらぶらと歩き、その歴史の重みと東西文化の混交に酔った。
トロイの遺跡、エフェソスのアルテミス神殿、セルジュク時代の都コンヤなどに感動。
インドは、インダス文明に始まる4000年の歴史と多種多様な民族・言語・文化とともに仏教に興味を。
《タージ・マハル(インド) 》
広大なインドは、東西南北4つに大きく分かれ、夫々に異なる自然、文化が魅力だ。
インドは仏教発祥の地でもある。仏教がインド全域に広まったのは紀元前3世紀ごろから。8世紀ごろにはイスラム教がインドに伝わり始め、次第に衰退していった。
1206年にトルコ系のムスリム王朝が誕生し、300年以上にわたって北インドを支配し、強大なムガル帝国が出現した。
タージ・マハルにその勢いを感じる。
中国では、4000年以上にわたる長い歴史を綴ってきた中国と日本との関わりが興味だった。
特に西安は、歴代諸王朝の都として古代中国の中心的存在だった。遣唐使の活躍、仏教の伝来など日本にも大きな影響を与えた。
《慈恩寺の境内に立つ大雁塔(西安)》
大雁塔は、玄奘がインドから持ち帰った経典の保存と翻訳のために建立され、唐代652年に完成。
804年に 遣唐留学生として入唐した弘法大師が、青龍寺で恵果法師のもとで真言密教を学び、806年に帰国して、高野山で真言宗を開いた。
青龍寺は、四国八十八ヶ所巡拝のゼロ番寺とも言われ、日本からの参拝者が多いと言われている(徳島県鳴門の霊山寺が1番寺)。
4カ国の古代文明の一端をかいま見ただけで、龍安寺の石庭同様とても理解できない。少しでも学ぼうと最近は図書館通いもするが、関連する書籍の多い事、読破するのも大変。もう少し予備知識を蓄えてチャレンジしたいと考えています。
海外の旅で、一番のネックはやはり言葉です。どうしてもツアーに頼らざるを得ない。唯、ツアーの場合、時間も行動も制約され、中々自分の思うような行動がとれない欠点がある。
私の場合はツアーを選ぶ時、ツアー日程の中で、できるだけ自由行動のあるツアーを選ぶ。最近は、ツアー各社も自由行動を取り入れ、テーマを絞った企画ものが多くみられる。
但し、どこの国も治安状況は日本より悪く、自由行動時には貴重品に要注意。カメラのストラップは首や腕に必ず巻く方が無難。私自身、中国・米国でひったくりに遭遇した事がある。
旅に出る前に、カメラを向ける対象やツアーコース全体を事前に予習するのも旅の楽しみです。
訪問先で、温めていた風景や歴史的建造物に出会ったら、何ともうれしいものです。気に入ったものや忘れ難いものに遭遇すると、二度、三度と出かけます。現地の人の話や生活ぶりを見聞する事で、いつまでも忘れられない思い出になる。
特に、海外ツアーの場合、旅することで毎回新しい仲間が生まれます。同じ趣味の人々と新たな絆が結べるのも旅の良いところです。
帰国後、お互いの写真や紀行文を見せあい、次の企画を語り合い、情報交換を行っています。
旅に写真はつきもの。旅に出る時は、ガイドブック、地図と共にコンパクトカメラとデジタル一眼レフと三脚を持って出かけます。コンパクトカメラは、朝起きてから寝るまでの1日を日記代わりに撮影し、時間管理とメモ帳に利用しています。これは、旅から帰って紀行文をまとめるのに重宝しています。
[2] 写そう会への参加写そう会の入会は、「デジタルカメラのメリットと注意点」という講習会が幕張であるのがきっかけでした。自己流で撮影する中、基本を身につけたいとの思いから、不安感いっぱいでお試し参加した。しかし、諸先輩方の温かい歓迎の言葉に不安感も一蹴され、楽しく有意義な勉強会でした。
写そう会に入って3年、写真をかじったからといって、急に写真が上達するわけはない。格好良く上手になる事が目的でなく、旅と写真を通じ老後の人生が楽しく豊かになればと親しんでいます。
写真撮影は、動き回ってウォーキングにもなり健康にも良い。 1日1万歩をノルマにしている自分にとって一挙両得である。
フレンドリーで楽しい写そう会の懇親会は最高。酒の飲めない私にとっても大変楽しみなひと時である。時には2次会でカラオケも。「カラオケ同好会」と見間違うばかりの皆さんの上手な事。参加者一人一人のスピーチも楽しく、暮らしの中での有益な情報も多く大変参考になる。
写そう会を通じて秋澤先生や諸先輩から教えられた“写真はピントと露出が基本”を胆に、少しでも基礎を身につけ、旅日記の魅力度を高めたいと思っています。
旅を通して、美しい風景や歴史、国々の生活、そこで生きていく人々の生きざまをこれからも撮り続けたいと思っています。
私とボウリング同好会
土屋 豊
ボウリングとの関わりについては以前も書かせて頂きましたが、入社後の初めての大会で興味を持ち転勤(仙台)後も楽しく過ごしていました。しかしその後は積極的にする事も少なく、社内大会ぐらいになっていました。
退職後当初は、社友会に入っていませんでしたが、支部幹部のご尽力のお陰で推薦特別枠で入会をさせて頂きました。『健康歩こう会』に入り数年が経った頃、ボウリング同好会が発足するとの話が有り半分は興味、半分はイヤイヤで入会しました。
発足の会場は平成17年(2005年)7月12日14時の荻窪ユアボウルでした。会員16名の当日参加者15名の船出でした。運営責任者の骨折りもあり大変楽しく過ごし、今後はもっと面白楽しくなるのではとの期待が生まれてきました。競技の表彰は得点の高い人が優勝する事になりますが、獲得した得点とその人の実力に合ったハンデ(点数)を合計し競い合います。初回が終わって一度は優勝したいものと考えましたが、たまたまハンデに恵まれた二回目で優勝ができ『ボウリング同好会』の面白さを実感する事となりました。
現在まで110回の開催(3・11震災の休会を含む、2014.9.1現在)をしていますが、この中で5回の優勝をしました。昨年の5月以来優勝から遠退いていますので、早く6回目をしたいと練習を重ねています。開催場所は3か所(田町ハイレーン・青戸ボウル・荻窪ユアボウル)を3ヶ月毎に替わり、各々の特長あるレーンで全員が技を競い合います。また、ユニークな賞を設けたり新入会員を積極的に勧誘したりして、現在26名のまとまった同好会になっています。
立っている10本のピンに向かってボウルを投げ得点を競う単純なゲームの様ですが、レーンに塗るオイルの量など分からない所が得点差に影響するゲームです。また、競ってくるとメンタル面の差が大きく左右する競技です。
今後も色々なアイデアを取り入れながら、全員100歳でプレーが出来るような面白く楽しい『ボウリング同好会』に皆さんと一緒にしていきたいと思っています。
少しでも興味が有りましたら是非“お試し"で参加してみて下さい。
私と「スポーツ吹矢」
成田征二
社友会の或る行事に参加した際に、複数の方から「スポーツ吹矢」の話題が出て、初めて「スポーツ吹矢」の存在を知りました。
吹き矢と聞けば先ず「危ない!!」「肺活量がないからダメだ!!」 と言う、ネガティブな発想が頭に浮かび、全く興味がなかったものでした。ところがその後、日本スポーツ吹矢協会・埼玉支部の林支部長さんとお会いし、お話を聞いている内に少しずつ興味が湧いてきて、これなら自分でも出来るのではないかと思いだしたのです。
それで調べていくと、「支部会員の○○さんは初段を持っている」、「××さんは地域で熱心に取り組んでいる」等々の情報が集ってきて、意外にもポピュラーなスポーツになりつつあることが分かってきました。
そこで前述の先生にお願いして、銀座にあるスポーツ吹矢協会の施設をお借りし、支部会員の皆様にも呼びかけ、スポーツ吹矢体験会を開催したのです。
当日は、ルールの説明や吹矢のスタイル等のレクチャーを受け、早速挑戦。
その時の感想は、
- ・肺活量とは無関係で、私のような小柄な身体(50Kg)でも、遜色なく吹ける(腹式呼吸で吹くため、肺機能が活性化され健康維持に役立つ)
- ・矢を吹いて数分の1秒の後に、矢が発泡スチロールの的に、ビシッと刺さる
(この時の、音の響きと気分の良さは、何とも表現に尽くしがたい) - ・マナーを大切にし、且つ集中力が培われる…など。
今では、我が家に吹矢セットを買い揃え、廊下の突き当たりに的をぶら下げ、隣の部屋から吹いて楽しんでいます。
僅か数ヶ月の経験ですが、まぐれで5本全てが的の中心に刺さる、パーフェクトを記録したりしています。


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(7m離れたところから)
★吹矢同好会では、会員を募集しています
10月4日に予定している、20周年記念特別講演会に先立ち、同会場でスポーツ吹矢の体験会を行いますので、是非お試し下さい。時間は 10:30~12:30 です。
私と写そう会
十河正守
《写真への興味》
窓枠から片眼で覗く風景や街中は、窓枠を通さずに自然の状態で見る趣と違って見える。自然な状態で見ると視野角180度で全体を見渡せるが窓枠から見る風景や街中は限られた範囲しか見えない。大変美しく感動した風景であっても窓枠からの風景はそうは見えない場合が多い。街中の様子も窓枠からの限られた範囲では何処の街なのか、街中のどの部分なのか、説明がないと分からない。

五重塔を覗き見る

紫陽花を覗き見る
一眼レフカメラはファインダーという窓枠を通して風景や街中を覗き、ファインダーから見られる限られた風景や街中を写し撮る。だから、出来上がる写真は自然な状態で見た風景や街中の趣と違う場合が多く、私の場合は概ね面白くない。
そこで、自然な状態で見る風景や街中を、見ためよりもいかに面白く趣ある風景や街中に見せるようにファインダーという窓枠の中に収めきれるかが写真撮影のポイントのように思える。京都のお寺さんで、丸窓や障子を開けた一角から見る庭の情景が全体の庭を見るよりも趣があって素晴らしいと感じることがあるが、これが写真撮影のポイントであろうか?。丸窓や開けた障子の一角から見られることを意識して庭が造られているとも思われる。
私が初めて一眼レフカメラを持ったのは、入社後に奈良の事業所に配属され古道や古寺めぐりを始めた頃であった。古道や古寺、道端の石仏の趣に惹かれ写真に残したいと思ったのがきっかけであった。当時、一眼レフカメラは高価であったが、なんとか工面してミノルタのカメラを買った。当然フィルムカメラで、今のようにAF(オートフォーカス機構)やAE(自動露出機構)は無かった(適正露出を決める支援機構は付いていたように思う)。また、ズーム機構のレンズもなく単焦点レンズであった。このカメラで、休日のたびに古道や古寺めぐりに出かけてはシャッターを押していた。しかし、どうにも眼で見た趣が写真に残らない。当然に我流での撮影で写真教室に通った訳ではないので無理からぬことだが、撮った写真には不満だけが残り、その内仕事の忙しさに紛れてカメラはいつしか手にしなくなった。

私の好きな写真の一枚。
津軽鉄道・芦野公園駅。踏切で通過を待つ人、警報器の音が聞こえてきそう。
表題を「春を運んで」とつけた。
次にカメラを手にしたのは、50歳を過ぎて天理に単身赴任したときであった。入社の折に買ったミノルタのカメラを再び手にして、休日の度に山の辺の道を歩いた。カメラを手にしていたのは写真を撮るためというよりは、“写真好きの年配のオヤジが一人で山の辺の道を撮り歩いている”という風体を装い、出会う若い娘達から変な目で見られないようにするためであった。だから、後になってこの折に撮り貯めた写真を見てみると全く面白くない。
三度目にカメラを手にしたのが定年後に入会した写そう会での撮影会(例会)であった。手入れもせずに仕舞いぱなしであったミノルタのカメラには黴が生えていて使い物ならず、定年後の趣味にと息子がニコンの一眼レフカメラを贈ってくれた。この頃もまだフィルムカメラであった。
《写そう会への加入》
写そう会に入会した動機は、当時の会長が撮影した一枚の写真に大変感動し、入社の頃や50歳での単身赴任の折に感じていた写真への“もやもやしたもの”=“眼で見た趣と撮った写真の趣の違い、面白さの違い”が何故なのかを少し理解できたような気がしたから。これを機にもう一度写真をシッカリと勉強してみようと思ったから。そこで、写そう会の先輩たちからカメラの扱い方や撮り方の基本を学び、カメラメーカーやNHK文化センターの教室にも通ったが、思い描くような写真はなかなか撮れなかった。或る写真教室の講師は「感性の問題」と言うが、「感性」とは何ぞや・・・いまだもって分からない。

布袋さんの石像である。
全体を撮すより木漏れ日が当たる顔の部分を切り取ったほうが面白みがあると感じた一枚。
それでも枠のなかに何を収めるかを意識してファインダーを覗くように心がけてから、少しは自分の撮る写真が変わってきたかな・・・と感じられるようになった。入社時に撮っていた古寺や石仏、特に石仏なぞは自分が感動したものだけを枠に収めて、不要なものは除く努力をしている。風景も同じかもしれない。また、花の撮影も、どの部分を撮るか(花畑の全体か、花の全体か、花の一部分か)を意識し、さらに背景を選ぶ(撮る角度、方向を変えてみる)こと。加えて、いろいろな小道具を工夫して趣を醸し出すこともありなのかもしれない。例えば、スーパーのレジ袋をレンズの前に被せて周囲をボカして雰囲気を出すなど。
写そう会加入の動機となった一枚の写真・・・夕暮れの浜辺で一人釣りをしている情景であったが、広い浜辺の風景のなかから、「一人の釣り師」と「釣り師の足元に打ち寄せる波」、「竿の先に夕陽に映えて輝く波間」だけが切り取られて写っていたように記憶している。撮影者が不要と思うものは限りなく除き、訴求したいもの(感動したもの)だけを一枚に収める。このことが大切なのだと気付き、ファインダーを覗く努力をしているが、やはり凡人には難しい。
桜の花である。
レジ袋で輪っかを作り、レンズの前にかざして花を覗き見るようにして撮った一枚。
露草である。
白く透けて見える窓のカーテンを背景にして、ハイキー調にすべくプラス補正し、背景の上部に庭の緑と、中心部は白く抜けるようになる撮影角度を探して撮った一枚。
《写そう会の真骨頂とお誘い》
加入後もう10年過ぎたが、写真以上に楽しみにしていることがある。 先般、現会長の上田さんが投稿された「私と写そう会」でも紹介されていたが、それは社友仲間との絆を深める例会(撮影会)後の懇親会である。いつ頃からとは覚えていないが、撮影会開催に際して幹事の方々が撮影場所の下見を行い、撮影ポイントなどを事前に調べることに加えて撮影会場の近くで懇親会の会場を探し、試食し、料理内容と飲み物を吟味し、値段(会費)を交渉し、万全の準備をしている。だからこそ、懇親会が楽しい。まさに上田さんの言われる“真骨頂”である。懇親会のメンバーがまた楽しい。気の置けない社友が集い、料理を食し、酒(ノンアルコール飲料も)を酌み交わし、定年後の近況や生活情報、健康談義に写真談義に、時間の経つのを忘れ、いつも予定時間をオーバーする盛況ぶりである。
東京支部発足20周年の今年、同好会活動活性化を目指して各同好会への参加者拡大運動が進められているが、写そう会は写真だけでなく懇親会も活動の目玉であり、これへの参加だけでも意義ある社友生活を送ることができるのではと思っている。写真に興味ある方だけでなく懇親会に興味ある方のご加入も待っています。
*私の好きな写真をもう少しだけ。
奈良の春日大社で。
門から漏れる光が印象的。
「降臨」と表題を付けた。
写そう会の撮影会で。
携帯を見る母親、足を蹴上げた幼児が印象的だった。
私と とうりゅう会(川柳)
上原 稔

川柳の祖 柄井川柳
川柳の馴れ初め
私が川柳に手を染めたのは還暦も過ぎてからです。東京支部に川柳の同好会を創る話が持ち上がった時、川柳には全く縁がありませんでした。大阪本部そうりゅう会の穴吹尚士さんが「川柳塔のぞみ」の銀座句会に選者として来ると聞き、取り敢えず句会というものを見てみようと有志4人が参加しました。
そうりゅう会に「川柳教室」があり穴吹さんが選をしていて、2007年10月に「早い」という題で初めて投句して添削を受けました。その翌月の11月14日に同好会への準備として「みのる・せいじ・保雄・志郎・いちお・私」の6名が幕張の支部室に集まり「紅葉」「読む」の題詠でとうりゅう会が歩き始めました。準備は翌年の4月まで続き、毎月が試行錯誤でした。私は「川柳塔のぞみ」の代表者が八王子在住だと知り、八王子の勉強会と銀座句会に参加するようになり、川柳塔社の誌友にもなりました。
とうりゅう会発足
2008年5月16日。13名が参加して第一回「とうりゅう会」が始動した。若手の私が会長に推され、このときの題は「雨」「遊ぶ」「熱い」の3題であった。東京支部で唯一の文芸同好会に参加する人達には一体感があり、文芸を楽しむ人の顔があった。理系の会社に居て、初めて連帯感を覚えた。私は定年までの間に文芸的な友人は2.3人しかいない。特に同期の「いちおさん」の参加は心強く、とうりゅう会の船出は楽しいものでした。
句大会に初参加
私と会員は同じ器量だが同じ土俵ではいけない。川柳の書は本屋には置いていないので、Amazonの通販で「俊秀流 川柳入門」(大木俊秀)「現代川柳入門」(田口麦彦)「新 川柳入門」(葉文館出版)「川柳の理論と実践」(新家完司)などを取り寄せ、有名柳人の全集も買い求めた。会長としての自負です。会の発足から2カ月後の7月に浅草の「朝顔川柳大会」に川柳大会の初体験をしました。170名の中で2句入選したが悔しさが残った。三才・五客などの上位で披講されるのは、見た目普通のおばさんで、衝撃を覚えた。なぜ、おばさんに負けるのか。ここで、私の川柳に対しての火が点いたのです。
吟社の誌友になる
川柳塔社に加えて「みなと番傘」「東葛川柳会」「つくばね番傘」の誌友になり、川柳マガジンを定期購読して投句を続けながら、刺激を求めに東京・埼玉・千葉・神奈川で行われる大会に参加すると、知友もでき、会が引けた後で酒を酌み交わすようにもなりました。
再び、とうりゅう会
2014年7月現在の会員は14名です。句会は健康上の理由などで参加出来ない方もいますが、投句(句の提出)は100%で、会員の熱心さがうかがえます。東北支部在籍の「けんじさん」もゲストの「のぶこさん」も、病気療養中の「保雄さん」も頭をひねって毎月句を送ってくれます。大江戸温泉物語の湯につかりながらの吟行も楽しいものです。
目指す川柳
7年近くになるが川柳は難しい。たった5・7・5の17音字なのに短詩形がための難しさだ。
月に200句ほど句を作り80句の投句をしているが、満足の句は作れない。うまい句を作ろうとして推敲を重ねれば重ねるほど、うまい句にはなるが、感情が離れて行く。良い句でなければいけない。六大家の麻生路郎は「川柳とは人間陶冶の詩である」といい、椙元紋太は「川柳は人間である」と説いている。私はうまい句を作るためにテクニックを学ぼうとしていた。人間を詠うのに感情が消えては駄目だ。大木俊秀氏は「膝ポン川柳」を提唱している。企業川柳を多くの川柳家は相手にしないが、「サラ川」や「ぼけ川」の方にこそ、古川柳に似た「穿ち・おかしみ・軽み」の句があるように思える。
私は一読明快で味のある人間を詠む川柳を目指していきたい。
川柳に命預けた定年後 酒坊
私と釣り同好会
金子孝昭
高齢者こそアドベンチャー体験を
人間40歳を過ぎた頃から、初めての体験と言う出来事が少なくなり、ましてや60歳を超えると初経験の感動はなくなってしまいます。知っている・見たことある・やったことあると世の中の出来事も殆ど想定内とおもえるのではないでしょうか?(最近の幼児・子供達の巻き込まれた事件・犯罪は誰も予想できなかった想定外と言わざるをえませんが・・・)
さてタイトルの“高齢者こそアドベンチャー体験”ですが皆さんは何を思い浮かべたでしょうか。
プロスキーヤーの三浦雄一郎氏が頭をよぎった方もいると思いますが、そんなギネスブックを書き換えるような事が我々に挑戦できるでしょうか?今回は挑戦できるスモールアドベンチャー、いや“ミニアドベンチャー”の話です。
それは海の魚釣りです。大手釣り具メーカーのR社が“アドベンチャー”なるロゴを使っています。釣竿、リール、(糸巻取り機)にカタカナ、英語で表示しています。そこで私流の解釈ですが、この釣り具で大物の魚を釣り上げて下さい・夢を実現して下さい・のメッセージを≪アドベンチャー≫のロゴに託したものと思います。更に付け加えるなら“ハラハラ”“ウキウキ”“ワクワク”するようなつりをどうぞとも感じ取れます。
私自身瀬戸内海の島育ちで小学生の頃から船で魚釣りをしていました。釣行前夜は”ウキウキ“わくわく”してなかなか眠れなかったのを覚えています。60年以上経った今もその心鏡は同じです。ウキウキしていますが、今はお酒が睡眠薬代わりに3分で眠りに着き5時間後に目が覚める技が身に着きました。
アドベンチャーの話に戻りますが、冒険(家)、探検(家)と直訳されていますが、予想をはるかに超える結果(成果)と言う意味もあるようです。ミニアドベンチャーはその極小版です。ウキウキ・ワクワク感は充分体験できますのでご案内とお誘いです。釣り同好会は近場の小物中心に計画を組んでおりますが、9月~11月は中、大型になるヒラメ、ワラサ(ブリの弟分)を計画しています。5kg以上も夢ではありません。5kgの魚は倍の10kgの力で引っ張り、さらに釣り竿がテコの原理で3倍の負荷がかかり腕には30kg以上の重さを感じます。船に取り込むまでの魚とのやり取り、この時間がまさにアドベンチャー体験です。もっとも時間を掛ければ魚も疲れ自分から浮いてきます。また昨年は相模湾に異変が起きました。10kg、20kgは当たり前50kgオーバーのキハダマグロ出現です。テレビ放送では簡単に釣れていますが、現実は50人の釣り人で5回当たり(針がかり)して取り込めるのは一匹位の確率です。夢物語かもしれませんが、一度は挑戦して見たいですね!
そして社友会の皆さん、ミニアドベンチャー体験で歳を忘れてみませんか、“ウキウキ”“ワクワク”で心身共活性化します----近々チャンス到来です-------------


私と平和(ピンフ)会(麻雀)
松野浩二
麻雀にはダーティなイメージがありますが、平和会のそれには全く感じません。至って健全な趣味で、私も長続きしているのです。例会は参加料を払います。賞品(ギフトチェック)と会場費に充てられます。
上位入賞を期するも、飛び順位賞、アベレージ賞またはブービー賞等が用意され、幸運を射止め得ます。マイナス点はカットラインがあり、救済されます。
会場はワンフロア貸切り、中国系美女(!)の茶菓接待を受けながら和やかな雰囲気の中で、まさに社縁の絆で結ばれた同志の集いです。
50分制限制、休憩を挟み、4回戦を闘います。時間のメリハリがあり、回ごとにメンバーが替わるのも人間関係の幅が広がって良いものです。
麻雀は運8分、技2分といわれますが、そうは思いません。ツキだけでは勝てません。場の流れを読み、攻めたり守りに入ったり、自分の心理のコントロールをしながら、心技一体、技がツキを呼ぶ深遠なものです。脳力向上・老化防止策と言えましょう。
発足当初はメンバーが足りず、旅行先から呼び戻されたりしましたが、今はフロアに満ち、例会も5月で200回を重ねました。私も海外ツアーのスケジュールと重なったり、怪我で欠席するを余儀なくされたりしましたが、年内には200回にゴールできます。第二土曜日が待ち遠しい今日此の頃です。
フリー参加歓迎!一緒に卓を囲み、お互い老け込まないよう楽しみませんか!

私と写そう会
上田弘明
≪私の写真観≫
私が写真を始めたのが2007年ごろだったから、もう約7年も写真を撮っている。

七里ガ浜
7年も写真を撮っているのに正直なところ私の写真は自我流で、技術的にも芸術性についても評価点が低い下手糞な写真です。それでも何故かカメラを構えると子供のように、ついつい夢中になってしまいます。
それはファインダーの中で見えてくる「変わりゆく季節の香り」と「生きモノの生命力」に感動があるからです。
最初のころは風景撮りが中心でしたが、親しくなった写友の影響もあって花撮りに嵌ってしまいました。それも野山に咲く1cmにも満たない小さな野草のドアップです。接写リングでの撮影から、レンズ逆付け、レンズ前玉外しと・・・こんな撮影方法もあるのかと興奮の連続でした。

ウスバシロチョウ
実年齢はどうであろうと、心の中にはいつも青春が宿っているようで・・・
そんなことを考えながらの写真生活は随分と楽しくなりました。
春になれば陽気とともに花芽も虫たちと同じように動き出す・・・
人も同じように春の息吹を体一杯に感じ、長かった冬を乗り切った喜びのなかでカメラをもって野外に出かける。
振り返ってみれば、私の写真観とは「輪廻転生の世界」でしょうか。
≪写そう会と仲間たち≫
私が「写そう会」に入会して、初めての例会参加は6年前、小雨の「小石川後楽園」でした。小雨の小石川後楽園、雨に濡れる若葉は生き生きとして、私にとっては感動のシーンで今も深く印象に残っています。
毎年、2月に開催される秋澤先生による勉強会は撮影の技術的なこともさることながら、写真を通じて見えてくる「ものの見方、考え方、捉え方」など心の糧につながるお話がうれしい。
秋澤先生の「写真とは人の営みを撮る」というフレーズは今も強く印象に残っています。その影響からか、今は花撮りから街撮りスナップにも挑戦中です。今一番嵌って
《 紫陽花(鎌倉)》
《 紫陽花の落葉 》いるのは
「枯れモノ撮り」です。
「花は散りごろ」といいますが、枯れながらも凛として終末を迎える花の姿に感動を覚えます。
「写そう会」の真骨頂は何と言っても例会後の懇親会です。泡の世界とお米の汁が程々になると、話題はどうしても写真のことから、現役時代の思い出、シャープのことや家族やこれから先のことなどなど・・・話題は尽きません。お酒が手伝ってか、もう心を開いてワイワイガヤガヤの「写友会」です。現役時代にこんな場面・雰囲気があったなら・・・仕事はもっとスムーズに捗っていたのではないかと・・・(爆笑)
人は先入観で判断してはいけない。それぞれに他人と違う経験や個性をもっている。当然、大切にしたいものも人それぞれである。「FACE TO FACE」直接会って話をすることでその距離感が近くなってくる。写そう会の活動を通じて人との絆の大切さをあらためて感じています。
私とカラオケ同好会
西口孫一
古い話ですが、「歌は世につれ、世は歌につれ…―週間のご無沙汰でした玉置宏です…」と歌謡番組の名司会者の声を覚えている方が多いと思います。
私は、営業一筋に関東(東京)から北海道まで9ヶ所に勤務しました。営業の関係で、取引先を接待する機会があり、その席上歌う事になり、当時はカラオケ装置がなく、生バンド・ピアノで歌いました。
2年前の東京支部総会(第18回)で支部長退任の時にカラオケ同好会を発足する事を約束し、同年9月に会員17名とゲスト4名でスタートさせました。シダックス新宿店で例会を重ね、今では、会員の増加に伴い御徒町店で開催しております。

- 《例会》
- ・7名以下のグループに分かれて個室を使用、一人あたり6~7曲を歌います。
- ・自分の持ち歌(Aさんの場合はフランク永井の“おまえに”が得意)を始め各会員さんが沢山の持ち歌を披露して楽しく過ごしています。Yちゃんは毎月新曲を披露してくれるので…大いに皆さんの参考になります。
- ・カラオケは歌の上手、下手は関係がありません。歌うことにより、姿勢が良くなり、大声を出すことはボケ防止にもなります。
私は、TV番組の歌謡ショーを録画し、自分に合った曲を何回か歌いそれを例会の時に歌うようにしております。北島三郎・五木ひろし・石川さゆり・天童よしみの歌が得意と自負しています…自分でそう思うだけ?
- 《カラオケの基本マナ-》
- ・人が歌っているときは、私語は慎みましょう
- ・席を立つときは、歌の合間にしましょう
- ・歌が終われば、拍手をしましょう
- 《カラオケ同好会へのお誘い》
- ・毎月第一土曜日の12時~3時、料理・飲み放題・カラオケで3,000円です。
- ・会員もドンドン増えて28名、ご夫人3名を含めて賑やかに例会を開催しています。
- ・お試し参加大歓迎、お気軽に自由参加して下さい。
私と天狗会
菊池兵吾
私は社友会の将棋の同好会「天狗会」のほか、三つの将棋の同好会に加入している。
一番古いのは公取委の日本将棋連盟公取支部、次に前橋高校の京浜同窓会の将棋部会(小生が部会長)、それから神田の学士会館で毎月第二、第四土曜日に例会を開催する職種横断的な30歳台から80歳台までのバラエティに富む同好会である。
私が将棋を覚えたのは小学校3年のときに父から教えられたのであるが、面白かったので現在まで65年間も将棋を趣味として続けてきてしまっている。
ここ10年間余は将棋の対局数が格段に増え(10倍以上か)、プロの棋譜並べも数千局になり、対局相手もそれぞれ癖や個性があるので、色々な面で将棋に対する考え方について刺激を受け反省させられている。
自分が負けた原因のほとんどは、①自分の弱点が現に存在し分かっているのに弱点を補強せずに攻め急いでしまうこと。②優勢になったとたんに油断して緩手を指すという、あまりにも人間的な習性にある。
戦国・江戸時代の武術の達人がなぜ強かったのか色々研究しているが、心身の使い方が攻防一如であり、優勢から勝利まで一瞬で、敵に反撃の間を与えていないようである。将棋でこのような局面をどうやって作るかが私の課題である。
天狗会では会員の棋力の差が10段階位あるが、弱い人でも数年間強い人と指していると知らず知らずのうちに強くなってくることが確実に分かる。従って強いものも常に研鑽を積まなくては成らないというプレッシャーを受けることになる。
従って、天狗会の棋力の平均レベルも昔に比べて相当に上がってきていると思っている。
- ≪天狗会最近の話題から≫
- 天狗会(将棋)ではシーバンスS館の15階社友会東京支部の事務局会議室で毎月例会を開催している。
- *第20期名人戦(駒落ち)の結果
- 1位 吉田富男(天狗会幹事長)
- 2位 宇佐見喜二(天狗会会長)
- 3位 菊池兵吾(天狗会広報委員)
- 役員総取りという珍しい組み合わせと成った。
宇佐見会長は毎回ほとんど2位以内という実績を誇るが、吉田幹事長は初めての優勝である。岳父の元日本将棋連盟会長の坂口允彦さんも天国で喜んでいられることであろう。
私とダブルOB会
石井良和
私は今から11年前にダブルOB会に入会しました。
当時は松野俊一支部長がダブルOB会の会長を務めておられましたが、大変ルールに詳しくそして厳しい方でもありました。
私は現役時代に一度「松野常務」の時に秋葉原の量販店の幹部とゴルフをご一緒する機会がありましたが、その時は緊張でゴルフを楽しむどころではありませんでした。 何しろ「パートナー」がパットするときは常にグリーンの外にいるようにするなどルールに加えマナーにもシビアな方だったと記憶しています。ダブルOB会のルールやマナーの土台はこういうところから始まっていたのではないかと思います。
マナーと言えば松野会長が遺された教えの一つに『社友会の会員同志の呼び名はお互いに「さん」づけで呼び合うようにしましょう』というのがあり、私には今も強く印象に残っています。
私が会の幹事になってからは開催場所担当のとき一番気を揉むのが天候です。特に冬場は気温低下と、まして雨天ともなれば参加会員の皆様が風邪でも引かれては大変と健康を最優先で考えます。その際中止の判断を一日前か、当日集まってからにするのか大いに迷います。私が担当のとき過去に3回もあり、事故も1件ありました。
幹事は簡単なようでありますが、会場の設定に始まり様々な準備もあり、表彰式の終わりの『それでは皆さんお気を付けてお帰りください』と言うまで気を抜けません。 そんな中で優勝から始まり「飛び賞」「ニヤピン賞」など各賞の賞品を受け取る会員の皆様の笑顔には幹事としていつも乍ら癒されます。
ダブルOB会もここに来て高齢化が目立ってまいりました。現在会員は71名(3月末現在)で、昭和9年生まれから昭和27年生まれ迄、年齢差は19歳となっていますが、若い方の入会が思うように集まりません。
そこで何とか若い方の入会をと考えています。私くらいの年齢になると最近卒業した方とは接点も少なく、顔も知らない方ばかりで入会勧誘するわけにもまいりませんので、昭和25,6年生まれくらいの方々に是非とも協力頂き、PRや入会の働き掛けをお願いしたいと思います。
最後に申し上げたいことは、同好会の良い点は同じバッジをつけて働いた仲間が卒業を機会に趣味を通して集まり会話をすることで絆を深めることです。今まで顔を知っていても話をしたことが無かった人や初めて会う方々と同じ組で廻り、お話出来るのはゴルフ同好会ならではの楽しみです。
私は故松野会長のお教えは今でも心に残っており、大先輩の精神を引き継いでゆこうと思っています。
写そう会活動の楽しみ
森野敏男
私と妻との唯一共通の趣味は「旅行」です。
旅行の楽しみは何と言っても初めて見る景色、地元の特産料理、そして、旅先の人々の暮らし・風習等ですが、2度とないチャンスなのでそれらをカメラに収めます。もう少し上手く撮れないかとの思いで定年後直ぐに写そう会に入りました。
そして、撮った写真の中から「写そう会のホームページ」への投稿を毎月する様に心掛けています。「社友Tokyo」がペーパーで発行されていた2004年3月号に「万里の長城」、2008年6月号に「NZ:サザンアルプス」で撮った作品を巻頭写真として載せて頂きました。私はカメラ操作・知識も未熟ですが、自分の作品をこうして載せて頂くと嬉しいもので毎月の投稿の励みになります。
2012年から「社友Tokyo」がホームページでスタートし、発行・更新ペースが従来の3ケ月毎から毎月に変わり、且つトップページの写真が3枚に増えた事により、従来より9倍も掲載されるチャンスが増えて、益々投稿が楽しみになりました。
メンバーの方々は、風景撮影が得意な方、花の撮影が得意な方、動物撮影が得意な方と多士済々です。
そこで、毎月の例会に参加した時、例えば植物園での例会の時は花の撮影の得意な方から撮影ワンポイントを教わったり、盗んだり、動物園での例会の時は動物撮影の得意な方と出来るだけ同行して少しでも撮影レベルを上げる様に心掛けています。(チョット手遅れかも知れませんが・・・)
この写真は2011.4月「新宿御苑での撮影会」で撮ったものです。
東京のど真ん中にありながら、園内が広い為に喧騒も無く、また季節毎に様々な花が咲き、写そう会でも大体毎年例会が開催されます。交通の便、被写体の多様さ、どこより絶好の撮影場所だと思います。毎月の例会では、被写体を求めて結構歩きますので終了後の懇親会時のビールは又格別です。

写そう会では「東京支部発足20周年記念行事」として、5月15日(木)「神代植物園」(調布市)にて撮影会が開催されます。
お試し参加も大歓迎との事です。同公園はその時期バラ等春の花々が満開と思いますのでカメラに興味をお持ちの方々は是非ご参加頂き、ご一緒に花々に向ってシャッターを切りませんか。
私と歩こう会
柿本政昭
私が歩こう会に参加したのは、社友会に入会してから少ししてからであった。その時の歩こう会の幹事さんから入会を勧められたこともあったが、いろんなところに行ってその地の風土や歴史を知ることが出来ればという思いであった。
入会後2年ほどしてから、幹事になるようにとすすめられて「私で役に立つなら」との思いで、幹事役を引き受けた経過があります。
2012年度からそれまでの田口会長に代わって歩こう会会長を引き受けている。会長として多くのことを気に留めないといけないが、大きく二つのことを今回は紹介したい。
まずは「参加していただいた会員の安全確保」である。私を含めた8名の幹事が交差点の横断その他の場所では事故が発生しないよう安全確保には気を付けているが、できるだけ交通量の少ないコースを選ぶとか、歩道車道の区別のある道路を選ぶなど、コース設定についても気を付けているつもりである。あわせて無線機を導入した。コースをウォーキングする際、幹事間での連絡を容易にして危険のないようにと配慮している。
次に気に留めているのが「参加された会員の満足度向上」である。参加された会員が満足されることで参加率の向上や口コミによる会員数の増加につながることと信じているが会員数の拡大はなかなか思うようにいかないのが現状である。
- 歩こう会に参加される会員は
- ・歩くことで自分の健康維持に寄与したい
- ・歩きながら、参加されている他の会員との交流を深めたい
- ・終わった後の一杯が楽しみ
- ・各地区の神社仏閣その他でその地の風土や歴史を知るきっかけを作りたい
- ・絶景ポイントや観光地を訪れ、後日家族を連れて再度その地をゆっくり訪れたい
- ・参加することに意義があり、とにかく皆勤賞を狙いたい
- などのいろんな気持ちを持って参加されている。
このような参加者のいろいろな気持ちすべてにこたえることは難しく、必ずしも満足頂いていない場合もあるとは思うが、私なりに注意していることを紹介したい。
私が入会した目的からして、その地の風土や歴史の勉強をしたいと思っていたが、その時のコースリーダーの方が一生懸命説明していただくことが、よく聞こえないことがあり自分でイラついたこともあった。
参加者満足のためには、せっかく訪れたその場所の歴史などを理解してもらうことを考えている。一つには、コースリーダーの説明が十分聞き取れないという問題の解決として、拡声装置を製作して、少しでも多くの人に説明を聞いてもらえるように配慮した。それを後日ワイヤレスマイク化して拡声装置を複数にしたことである。これにより、コースリーダーの周辺に居る人だけでなくある程度離れたところを歩いている会員にも説明が聞かれるようになった。どこから聞こえてくるかわからないこともあり幾分不自然な感覚を持たれる会員もいるが、多くの参加会員にその場所の説明を聞いてほしいとの思いである。
もともと、中学生のころから、ラジオを組み立てることが楽しみであったこともあり、拡声装置の組み立てはうまくできたと思っている。現在まで3台の拡声装置を製作したが、今後は改善をしながら4台目5台目と製作をしてゆくつもりである。
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余談ながら、富山の片田舎で東京放送(TBS)のラジオ放送が自作のラジオで受信できたときは体が震えるような感動を覚えた。そんな趣味を持っていた私だったので、会社を受けるときもラジオ、テレビのことに携われる会社として弱電メーカーを選んだ。
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次ぎには、その場所の事前勉強である。各幹事それぞれにコースリーダーになったときは訪問するポイントについて徹底的に事前の調べをして説明するようにしている。歴史について調べるのはなかなか難しく、地元の資料館を訪問したり、インターネットで調べたりしている。参加者にうまく説明できないで自分でイラつくこともあったりするが、うまく説明できるようなことを心掛け、参加者の満足を得られるように気を付けている。
以上、参加される会員の安全確保と満足度をさらに高めたいと考えているところであるが、気づかない点が多々あろうかと思う。参加された会員は小さなことでもぜひ口に出していただければと思う。
歩こう会に入会されていない会員はぜひともお試しで参加されることを幹事並びに会員一同お待ちしています。

2014.1.18 川越・仙波東照宮にて